住宅ローンで時給100万、上位7%サラリーマンになる秘技

住宅ローンで時給100万、上位7%サラリーマンになる秘技

重要!何度も死にかけた社畜が、会社を利用して不動産を買うまで:前半

地獄から天国までの

道のりプロフィール

 

 

前半

 

 

ハンカチをご用意して

お読みください。

 

 

 

私は沖縄に住む一般的な 

低所得サラリーマンで、 

これまで自分の時間と体力を 

会社に提供することで賃金を得てきました。

 

 

 

 

ホテルで調理の仕事をしてた時は 

朝6時頃起き、 ほぼ休憩ナシで朝1時まで,

働かされた事もあります。 

 

 

 

250時間の労働時間で給料が

手取り9万円だった

事もあるのがこのホテルです。

 

 

昭和じゃないですよ。

平成17年頃の話です。

 

 

他の会社でも16時間労働くらいは

当たり前でした。 

 

 

就業規則とは名ばかり、 

今まで4社を経験しましたが、

サービス残業、休日出勤等、 

規則が守られている会社は皆無。 

 

 

一度しかない人生の大半を会社で過ごし、

会社で死ぬような気がする。 

 

 

そう思い始め、

日々危機感を感じていました。 

 

 

年末年始も宵い越しで仕事、

お正月やお盆、ずっと仕事。

 

 

ホテルで調理の仕事をしている時は

年末にウィルス性の腸炎にかかり、

苦しみの絶頂と共に年越しをしたことが

一度あります。

 

 

ずっと仕事なので親戚の集まりにも、

18年近く参加できてません。

 

 

親戚の子供たちにお年玉を

あげられないことに凄く

罪悪感を抱いていました。

 

 

 

 

たまに会えるのは

身内に不幸が起きた時だけ。

 

 

ここ3年で、祖父、叔父、叔母と

1年ごとに亡くなっているので

1年に1回は親戚と顔を合わせる

機会がありました。

 

 

そのくらい自分の時間が取れない。

会社に拘束される毎日。

 

 

 身も心もズタボロになり、

 このままでは会社に殺されてしまう。

 

 

 「何か他に収入源を見つけて、

 会社から開放されなければ!」

 

 

「このままでは何のために

生まれてきたかわからない」

 

 

 そう感じていた時、会社の上司に、

 

 

 「不動産は興味ある?」 

 

 

と聞かれ、そこから不動産に

 興味を持つようになりました。 

 

 

そして誰もが通る不動産投資本、

ロバート・キヨサキさんの

 「金持ち父さん、貧乏父さん」

に出会います。 

 

 

 

そこでお金に働いてもらう仕組みに衝撃を受け、 

不動産事業を始める事を決意しました。 

 

 

始めた時はカネ無しコネ無し

知識無し。 借金400万円からのスタート。

 

 

今では不動産収入がありますが、 

そこに行くに必要と感じるのは、

やはり

 

「行動力」

 

 

「スピード」

 

です。 

 

 

 

 

 

知識は勉強して蓄えることが

できますが、 

一歩踏み出す勇気、行動力がない人が

多いのが現実です。 

 

 

実際に不動産投資の勉強をした人で、

不動産を購入することができる人の

割合をご存知ですか?

 

 

1000人に1人と言われています。

 

 

そう、一歩踏み出さなければ、

 前に進むことはできません。

999人、あなたと同じスタートラインに

横一列に立っています。

 

 

一歩だけ前に出ましょう。この一歩が

他の999人と今後の人生、1億歩程の差になります。

ただ私は必ず不動産投資を

やったほうがいい、

 

 

と言いたいわけではなく、 

私のように低所得者が、

不動産を始めるなら、

賃貸併用住宅をおススメするというスタンスです。 

 

 

不動産を買い続けて、

不動産所得だけで生活したい。

 

 

という考えの人は 

少数だと思います。

 

 

しかしこのブログには、

賃貸併用住宅だけでなく、

今後不動産をどう拡大していけばいいかの

ヒント、内容を多く詰め込みました。

 

 

賃貸併用なら住宅ローンで、

アパートを購入することで

自分が住みながら家賃を

得ることができます。

 

 

 

 

その頂ける家賃から返済ができるので

実質タダで家、土地を得られ、

さらに家賃収入も得られ、

生命保険の代わりも手に入れるのです。

 

 

住宅ローンを組む場合、

団信という保険に加入しますが、

自己負担はなく、加入した人に

万が一のことがあった場合、

 

 

借入金がゼロになるので、

今後の支払いはなくなり、

土地と建物を家族が無借金で

手に入れる形になります。

 

 

さらに賃貸併用住宅なので、

そのまま家賃が入り続けます。

 

 

あなたが死亡した場合の

生命保険以上に、不動産が

働いてくれるのです。

 

 

 低所得サラリーマンには、

 副収入を得られる、

 資産を残せると、 

プラスの面が大きいです。

 

 

 

もちろん注意すべき点も

たくさんあります。

 

 

あなたも体感しているかと思いますが、

現在日本は未曾有の低金利の影響で

信じられないくらい

アパート、マンションが乱立してます。

 

 

「そんな中、競争したら負けるでしょ?」

 

 

と思うでしょう。

私の答えは

「普通にやったら負ける」

です。

 

 

あまりにもアパートの数が

多すぎるので、借りて市場になり、

同じ建物なら、家賃の低い方へ

流れていきます。

 

 

なのでどうしても値下げ合戦に

巻き込まれてしまうのです。

 

 

あなたがアパートを借りることを

想像すればわかりやすいです。

 

 

部屋を探していて、見た目、

内装、条件全て同じなら、

家賃の安い方を選ぶはずです。

 

 

巷に溢れているのは、

そんなありきたりな普通の

アパートだらけなんです。

 

 

ブログでも紹介していますが、

普通のアパートを建てていたら

間違いなく負けます。

 

 

ただの「負動産」になりかねません。

きちんと強い「コンセプト」を持った

物件だからこそ、他とは差別化し、

高い家賃、入居率を実現できるのです。

 

 

 それらをブログ、ファイルで実際に

 賃貸併用住宅を建て、

 そこに住んでいる私の

 体験談を元に生の情報をお届けし、

 

 

これから副収入を増やしたいと

思うあなたの力になりたいと 

考えています。 

 

 

 

 

私は不動産収入を得るまで、

かなり恥ずかしいのですが、

人生には常に 「金欠」と「死」が

付きまとっていました。

 

 

石垣島での結婚生活では、 

2~3ヶ月程缶ジュースすら

買えない時期もあり、 周囲への恥ずかしさ、

周りより金銭的に劣っている 

強烈な劣等感。

 

 

 精神的に病んでいて 

「もう死にたい」そんな毎日でした。

 

 

ですが、今の私があるのは、 

たくさんの暗い過去のお陰なので 

最初にお話させてもらいます。

 

 

人は辛い、悔しい、悲しい、痛い、苦しい思いを

すればするほど、人に優しくなれるんです。

 

 

なぜならその痛みがわかるから。

 

 

 

ここから先は私が実際に体験してきた

プロフィールをご紹介します。

結構内容がキツめなので 

心臓の弱い方は見ないで下さい。

 

 

でも次のキーワードが一つでも 

気になるなら希望が持てるはず。

 

 

 キーワードは 

 

長時間労働」「過呼吸」 「パニック障害

「住所不定無職」 「学生って最高」「敗血症」

 

 

 「職場でのイジメ」「元嫁」 「欝(うつ)」

「自殺未遂」 「死産」「借金」「離婚」 

「スピード感」「出会い」「光」です。

 

 

 

 大丈夫ですか?始めます。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

私は沖縄国際大学という大学に

通っていました。

 

 

バイトとスポーツと遊びに 

費やした時間はあっという間。

4年生になり就職を 

考えるようになりました。

 

 

 就職活動に時間を かけたくなかったのと、

 気になる会社があったので、 

求人募集してないその会社に直接、

 

 

「働かせて下さい!」

 

 

 

 と電話。

 「社長と相談して折り返します」 

との事。 

↓ 

「2時間後に面接します」 と連絡。

 ↓

 履歴書と写真を最速で準備。

 ↓ 

会社到着、社長と1対1の面接

 ↓

 社長「採用!」 

 

これが第1の地獄への 入り口でした。

 

 

しかしこの社長の「スピード感」と

「判断力」が後に私を成功に導いてくれる

 カギになるのです。

 

 

大学4年の授業は週1で、 

就職が決まったのもあり、 

バイトしてたローソンを辞め、

就職先で社員と同じように

働かせてもらうことになりました。

 

 

 

初めての就職先なので気合と

やる気に満ち溢れ、

目は常にギラギラしていたでしょう。

 

 

「頑張るぞ!」

と、かなり意気込んでいたのを

強く覚えています。

 

 

しかし、蓋を開けてみると、

日給6500円で週5~6日、

朝9時半から遅いときは朝2時

までの「長時間労働」。

 

 

 

 

 100キロ超えの重い機械を

 人力で運んだり、

 修理したりと肉体労働が続きます。

 時給にすると200円〜300円でした。

 

 

自分からやりたいと言い出した

仕事なので、多少体調が悪くても

無理やり出勤してたある日、

事件は起きました。

 

 

38度の熱が出ていたのですが、

現場に迷惑をかけたくないので

無理をして出勤してしまいました。

 

 

すると、上司と現場で作業中, 

かなり気分が悪くなり、 

さすがに耐えられなくなって

 

 

 「車で休ませて下さい」

 

 

と告げ、 エレベーターのボタンを

 押そうとしたら手が動きません。

 

 

 ドクドクドクドクドクドク!! 

 

 

猛烈なスピードで上がる脈拍、

 手首から先が体の方向にグニャッ

 とあり得ない角度で曲がり固まる。 

息が出来ない!

 

 

 「死ぬっ!!!!」

 

 

 そう過呼吸です。

 上司に救急車を呼んでもらい、

 駆けつけた救急隊員が 

過呼吸ですねー」

 

 

 

 

 軽い感じで私の口と鼻を塞ぎ、

 呼吸を止めるとすぐ、

 落ち着いていくのがわかりました。

 

 

 隊員の軽い口調で「自分はすぐ治るんだ」

 と安心したのを鮮明に覚えています。

 

 

そしてなんとかギリギリの

状態で働き続けて3年が経ち、

渋滞に巻き込まれた営業車の中で、 

なんとも言えない恐怖感に突然襲われました。

 

 

呼吸が苦しくなり、

なんとか自分をごまかそうと 

号泣しながら歌ったりしました。 

 

 

見えない恐怖に怯え、車を飛び降り

猛烈にガタガタ震える指で

号泣しながら上司に電話、

「死にます!助けて下さい!」

 

 

上司も仕事で来れなかったので、

落ち着きを取り戻すまで休憩し、

運転は休み休みでなんとか

会社に帰りました。 

 

 

すぐ病院へ行き、診断結果 は

 

パニック障害

 

 精神的な病気です。

 

 

 正直ホッとしました。

 なぜかというと、見えない恐怖の

 正体がわかったからです。

 

 

 

同じ感情になった方いませんか?

そして パニック障害になった後、退職。 

ちなみにここでの仕事は大好きでした。

 

 

ただ労働量が多すぎて、体と心が追いつかなく

なってしまったのでやむなく退職。

 

 

今でもこの会社の社長とは

仲良くさせてもらってます。

 

 

「頑張らなきゃ!」と思いすぎて 

失敗したことを学び、 

生きていく上で一番大事なのは 

「健康であること」 そう悟りました。

 

 

今の子供の名前にも、

その思いを込めています。 

 

 

 

退職したのが宮古島にいる時で、

退職して本島に帰ってくると

行くあてもなく住所不定無職になった私。 

 

 

バイクに荷物をパンパンに詰め、 

公園で寝たり、 友達の部屋に泊めてもらったり、

1泊700円で窓のない1畳の

怪しい部屋に泊まったりもしてました。

 

 

隣の部屋とは極薄のベニヤ1枚隔てただけなので、

呼吸の音すら聞こえる状態の部屋でしたね。

那覇の西町にありました。

 

 

そこに寝れることで、

屋根がある所で寝れるのは

とても幸せなことなんだと

感謝できるようになりました。

 

 

住所不定無職だった私は

なかなかアパートの契約が

決まりません。

 

 

そんな住所不定無職の私に、

賃貸をOKしてくれる 

不動産会社が現れたのです。

感謝してもしきれませんでした。

 

 

宜野湾にあるE企画開発さん、

とても素晴らしい物件を

扱っている所です! 

お世話になりました! 

 

 

その背景もあって、私はいつか

不動産をやりたいと思ったのかもしれません。

 

 

無事、沖縄市のアパートに入居した後、 

調理の職業訓練校に入りました。

 

 

 一度社会人を経験した後の 

学生はもの凄く楽しく、 病状は改善。 

 

 

職訓は安く学校に行け、 資格も取れ、 

給付金までもらえる制度です。

退職を考えている人は検討したほうがいいです。

 

 

私に連絡をくれれば相談にも乗ります。

 

 

そんな学校で楽しい日々を送って約半年、 

突然40度オーバーの高熱に犯されます。

 

 

 風邪だと思い家にいても、

1週間くらい熱が下がりません。

 

 

 喉が腫れ、 唾を飲み込むだけで激痛が走る。

さすがにおかしいと思い

病院へ行くと医者に、

 

 

「なんでこんなになるまで病院に来ないんだ!

すぐ入院しなさい!」

 

 

 診断結果 

 

「敗血症」

 

 

死亡率約30%、

血液中に菌が 増殖する恐ろしい病です。

 

 

私は喉の炎症がきっかけで、

そこから菌が入ったようでした。

 

 

今まででは違う「死ぬのかな?」

という感覚になった、

静かな恐怖を思い出します。 

 

 

 

 

お金がなかったので病院に

借金しながらなんとか完治。

 

 

ちなみに今でもその時のことを

夢に見ることがあります。

かなり苦しくて辛い思い出です。

 

 

 あなたも体調の変化には

 気をつけてください。 

 

 

 

そして1年で調理学校卒業と同時に、 

石垣島のレストランに就職。

これが 第2の地獄の入り口でした。

 

 

ちなみに最初の会社でも

石垣に行っていたので、これで

2回目の石垣島になります。

 

 

中途で入社した24歳の私には、

 新卒から働いている20歳の

 女性の上司が2人いました。

 

 

新人の私に舐められないよう

昼ドラの500倍、 陰湿なイジメの毎日。

 

 

年上上司も厳しい人ばかり。

 料理人あるあるだと思いますが、

 ぶっ飛んでる人が多いです。

 

 

 だから良い料理が作れると

思うんですけどね。 

仕事中にお玉を投げつけられ、

 安全靴でスネを全力で蹴られる。

 

 

 仕込み表に「死ね!」と書かれ、

ミスの罰としてコンテナ冷蔵庫を

朝まで掃除させられたりもしました。

 

 

先輩のミスを押し付けられ、

前科持ちで石垣島に逃げてきた

プロレスラーのような体格の男に

厨房の中心で全力で首をしめられ、

意識が飛びそうになったり等々。

 

 

皆見ているのですが、

その人が怖くて止められないのです。

 

 

さすがにまずいと思い、

必死に振り払って逃げました。

 

 

その時が人生で初めて本気の

「殺意」を覚えた瞬間です。

 

 

「なんで俺だけ!!」 

 

 

帰っては発狂する毎日。

 不眠や気分の落ち込み等、 

うつの症状はこの頃から

出始めていましたね・・・。 

 

 

そしてしばらくして、 

同じホテルで働く女性と

付き合うようになりました。

癒しでした、最初は。

 

心のより所でした、最初だけは。

 

 

これが後に伝説として語られる

最凶かつ最悪、

第3の地獄の入り口とは知らず・・・。

 

 

 その女性こそ「元嫁」です。 

スタイルはモデル並み、

顔はコーヒーのCMに出ている、

原田知世似の博多美人。 

 

 

シュレックをボコボコにした

感じのブサイクな私には

どう考えても不釣り合い。

 

 

こんなチャンスはもうないと、

焦った私は付き合って1年で 

プロポーズしました。

なぜかオーケー。晴れて入籍。

 

 

すると入籍したその日から

すぐ性格が変わっていきました。

 

 

いや、本性が出てきたと表現するのが

正しいかもしれません。

 

 

そんな衝撃の本性は

 

プロフ後半に続きます・・・。